箒に対する愛着がこんなに強いのは日本人くらいかもしれません。
時代、あるいは場面によっては、掃くという“行為”に心の穢れ(けがれ)を掃くという意味さえ込められています。
言うまでもなく、掃く道具である「箒」そのものにも日本人ならではの繊細さが息づいています。
それに関わるあらゆる人たちの英知が集積され、育まれ、今でもその実用性や美しさを追求し、作られています。
今回は、時代に翻弄されつつも、受け継がれてきた「箒」を守るために活躍している方々にスポットライトを当てました。
歴史や環境は違えども、皆ひたむきに活動され、次世代へ繋げようとしています。
この特集を通じて、その軌跡を一緒に辿ることができたら……と思っています。
2016年に、アズマ工業は120周年を迎えました。
その記念事業として、2015年、アズマ工業の物づくりの原点である座敷箒作りをここ浜松で行いました。
座敷箒に欠かせないほうき草を一から栽培すべく始動しましたが、タイで座敷箒を作るようになって久しく、
一度途絶えたほうき草の栽培は、種や土地の入手から困難を極め、最初から相当な労力を費やしました。
また、タイと浜松では環境が異なり、ある畑ではほうき草の一部が倒れ、ある山間(やまあい)の畑は収穫時に猪に荒らされ、
ある畑は成長しきれず全滅してしまうという有様で、問題が次から次へと発生しましたが、
その過程で出会った方々のおかげで、無事に成し遂げることができました。
一緒にほうき草作りを行っていただいたJAとぴあ浜松様及び青年部様に感謝申し上げます。
浜松での座敷箒作りはその活動記録をブログで公開中です。
『東海道五十三次(東海道五拾三次)濱松・冬枯ノ図のほうき再現プロジェクト』
また、ほうき草作りと併せて、日本で箒作りを続けている方に取材を行い、
箒の歴史、伝統、そして箒作りに対する想いをお聞かせいただきました。
今回、そこで知り合った方々のインタビューを特集号として掲載致しました。
時代の趨勢に飲み込まれそうになりつつも、しっかりとした足取りで荒波を切り抜け、
その伝統を守るべく活躍されていることは前述の通りです。
人との縁がなければ何も生まれない。
120年を迎える前に、この当たり前ともいえることに改めて気付いたことは、
アズマ工業にとって掛け替えのない財産となりました。
この活動で知り合ったすべての方々に心から感謝しております。
また、この特集をお読みいただいた皆様にも感謝申し上げ、筆をおきたいと思います。
ありがとうございました。
本特集を作成するに当たり、該当者へのインタビューの他、下記資料を参考としました。
- 「農閑渡世名前書上帳控」/森田家文書
- 「鹿沼箒研究」/腰山巌著 昭和42年7月1日発行 発行人 鹿沼箒商工業協同組合
- 「海南地方家庭用品産業史」/平成元年五月発行 発行人 海南特産家庭用品協同組合
- 「シュロの歌−その植栽と産業的発展の歴史−」/西久保俊郎著 平成13年1月30日発行
- 「大江戸庶民いろいろ事情」/石川英輔著 平成17年1月15日発行
その他、インターネットより。